いわゆるSNSって、色んな人と繋がれる楽しさみたいなものがありますが、逆に煩わしさもあります。
ですから、Facebookを除くと一般的にはハンドルネームを使い、あくまでも匿名で繋がることの方が多いでしょう。
ただ、そんな匿名な関係でも、それなりに関係性が深まることだってあります。
だから匿名の関係が悪いとは思えませんが、どんなに仲良くなっても、それ以上でもそれ以下でもないんだなぁ、と感じずにはいられません。
SNS以上になった瞬間終わる関係
SNSで同じ趣味を持つ同士が仲良くなる。
よくある話です。
そのうち、直接会って遊んだりするようになることも。
でも、趣味というものでしか繋がっていなかった関係なので、直接話をしてみて、微妙に肌が合わないとか、微妙に趣味の方向性が違ったりすると、途端に関係が冷えこむことってありません?
最初は人数も少なく、上手に関係を保っていても、そのうち人数が多くなるにしたがって、ちょっとのズレがどんどん大きくなり、結局その関係、繋がりは終わりを向かえます。
繋がる媒体が「趣味」ということで、熱しやすく冷めやすい状態になっているんだと思います。
一瞬で話が盛り上がりますからね。
熱しやすい反面、冷えやすいわけで、冷えたときのもの悲しさも大きい。
まぁ、わたしは大人なので、このような経験を何度もしているので、別に何とも思いませんが、経験が少ない若者とかは傷ついたりするんだろうなぁ。
と、老婆心。
リアルでの連絡先を知らない
本人のことを何も知らなくても、相手が同じ年齢位の人であれば、ブログやコメント等でその、人となりは分かるのもです。
そんな人と急に繋がれなくなった時の悲しさ。
若者同士なら、もともとが気まぐれかもしれませんし、大勢の中の一人で片付くかもしれませんが、わたしのように年齢を重ねた者同士の場合、急に連絡が取れなくなると、そこには「死」の存在が現れます。
名前も知らず、ネット上だけの繋がりでは、状況が全く掴めません。
幾つか運営していたブログすべての更新が止まり、メッセージを入れても返信もない。
ネット世界に興味が無くなったといえばそれまでですが、昔からインターネットに触れている最古参とも言えるような人であれば、そのような事は無いでしょう。
こんな時、ハンドルネームだけの付き合いは、そこでプツッと強制的に関係が終わってしまいます。
「はい、終わり~!」で済むのであればいいのですが、病気や不幸があったとしても、そのことが分からないというのも、辛いものですよね。
実社会で繋がっている安心感
親・兄弟・親戚・友人。
実社会で繋がっている人は、たとえ疎遠になってもどこかで繋がることができます。
久しぶりに会っても、会った瞬間に昔の関係に戻れる。
そんな関係って、なんか安心します。
逆に、そんな関係だからこそ、何年も会わなくたって問題ない。
10年ぶりに会う友人とだって、「おう!」の一言で昔の関係を取り戻せます。
そして酒でも酌み交わせば、昔とは違うお互いを素直に受け入れて、お互いの力になることだってできますよね。
SNSを始めとするネット社会が悪いわけではありません。
でも、やっぱりネット社会は虚像なのかもしれませんね。
ネットに頼るのではなく、ネットを活用する
インターネットでは簡単に誰とでも繋がれたり、何でも調べられたりするので、ついつい頼りがちになってしまいます。
「インターネットを活用している」というよりは、「インターネットに頼り切ってる」といった方が正解かもしれません。
確かに、このブログだってインターネットの産物である以上、インターネットを活用してはいますが、活用しているようで頼っているだけという状態は正常な状態ではないでしょう。
この辺を自分の中で意識しないとダメなんでしょうね。
あまりにも簡単に物事が片付いてしまう。
これでは、全ての情報は薄っぺらいものとして、流れ去っていくだけになります。
身に付かない。
結局、人間関係も同じことです。
さて、あの人はどうしてんだろう?
以上、「ネット上の人間関係に儚さを感じる、今日この頃」でした。