わたしは学歴主義です。
高学歴な人ほどよろしい。
まぁ、可能性の問題としてね。
しかし高学歴じゃない人だって、まだまだ救いはあります。
だって、わたしの奥さんは中卒だけど、幸せいっぱいに人生を謳歌してますもん。
そんなお話。
「学ぶ」とは何でしょう?
一言で「学ぶ」といっても様々な意味があるのではないでしょうか。
学校で勉強する
技術を習得する
仕事を覚える
それだけじゃないですよね。
ブログを書くにしてもインターネットの知識を学ばないといけません。
生活していれば、どんな場面でも学ぶ機会があるわけです。
そうやって学んでこそ、次の段階に進めることが出来るようになります。
そして、その学ぶための基礎体力というのは、学び続けることでしか身に付きません。
ですから、高学歴な人ほど学ぶための基礎体力があるということですね。
ほとんどの人は、学校を卒業すると学ぶ量が減っていきます。
学校では半ば強制的に学ばされますが、社会に出たら自分で学ばないといけないからです。
そこで差が出る。
「だって、仕事で疲れているのに学ぶなんて出来ないよ。」
そんな言葉が聞こえてきそうですね。
よく分かります。
だから基礎体力がものをいう訳です。
大好きな言葉に、マザーテレサの言葉があります。
思考に気を付けなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気を付けなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気を付けなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気を付けなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気を付けなさい、それはいつか運命になるから。
ある意味、人生はこの言葉に全てが集約されていると言えます。
学ぶという行動に気を付けることで、それはいつか学ぶ習慣になり、その習慣がある人はたくさんの事を自分の中にインプットしていきます。
インプットしたことが多くなればなるほど、思考するための材料が増えていく。
それはより多くの、そして深い思考へと繋がり、いつか言葉になり、行動になり、習慣になる。
そうやって性格が形成されて、自らの運命となるわけです。
思考する材料が無い、または少なければこの繋がりは広がらず、狭い中で性格が形成されてしまいます。
ですから強制的にでも思考する材料を詰め込む作業として、義務教育や高等教育があると考えてます。
ようやく冒頭の部分に繋がりましたね。
学歴主義というのはそういう意味です。
若い頃にどれだけ学びという行為を行って来たかによって、その後の人生が変わってくる。
そういう事です。
「いや、全く勉強なんてしなかったよ。俺はもうダメだ。」
そう思ったあなた。
今からでも遅くはありません。
一番重要なのは「学ぶ」という行為を習慣にすることです。
そうすれば、自然と自分の中へのインプット量が増え、自然と思考の幅が広がります。
するとどうでしょう。
今まで気づく事のなかった、新たな気付きを見つけることが出来るようになります。
それは新たな価値観となり、新たな思考、新たな言葉、新たな行動の指針になるのです。
そうすると幸せの定義が広がって、今まで不幸としか考えられなかったことでも、幸せに感じることが出来るようになります。
まぁ、幸せというのは大袈裟かもしれませんが、「不幸」が「普通」に昇格するかもしれませんね。
では、学ぶために一番いい方法はなんでしょうか。
それは本を読むことです。
わたしにとって本は一番の教科書でした。
確かに大学も途中で止め、ろくに仕事もせず遊んでばかり。
挙句の果てには多重債務者にまでなったわたしです。
そんなわたしが言っても説得力なんてありませんが、高校生の頃は本ばっかり読んでました。
普通の小説から伝記物、ルポタージュ物まで、毎日のように本を読んでました。
おかげで国語だけは成績がよく、といっても現代文だけですが、かつての共通一次試験の現代文ではほぼ満点。
本を読むということは、それだけ素晴らしいことなんです。
そうやって様々な価値観を知ることで、他者を受け入れることが出来るようになります。
すると、何かあっても喧嘩にならない。
今の夫婦生活においてもそうです。
喧嘩なんてしません。
付き合い始めた当初、奥さんは中卒なので何も知りません。
例えばワシントンと聞いて奥さんが言うのは
「ワシントンって東京?日本?」
「東京だよ。」
「じゃあ、ワシントンの日本は?」
そんな会話ばかり。
でも、本を読むことは大好きで、人の話を聞くのも大好き。
毎日、夜遅くまでいろんな事を話ました。
中卒ではありましたが、学ぶ素地はあったんでしょうね。
今ではありのままを受け止めて、何事にも幸せに感じられるようになってるみたいです。
喧嘩をしないということは、常に精神状態が平穏であるという事。
これを幸せと言わずして、何というのでしょう。
究極は全てをありのままに受け入れるようになる事。
それは正に「悟り」かもしれません。
とまぁ、偉そうなことを長々と書いてしまいましたね。
こんな考え方もあるということで。
そんなお話でした。